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わたモテ喪155感想 - 「motherhood」の違和感から

令和もよろしくお願いします。みしぇるです。

先日、わたモテ喪155が公開されました。

www.ganganonline.com

サイトにもあるように5/11に単行本15巻が発売されます。原画展も楽しみですね。

さて、今回はかなり気になる(というか、引っかかる)点が多かったので、思ったことを書き残しておこうと思います。助けてください。

「motherhood」について

単語帳のシーンに初読で違和感を覚えた。motherhoodって、高校生が単語帳に書くような単語か?(しかも加藤さんはこれを英語が苦手な智子に渡している……) 仮にそこを無視したとしても、それを最初に登場させる理由はなんなのか__答えは明白で、この単語には演出上の意味があるということだ。

「母性」が象徴するのは加藤さんだろう(実際、智子のモノローグで「お母さん」という単語が複数回出現している。e.g. 14巻喪137, 喪140。しかも喪140に至っては「マリアさま」にルビが振られている)。つまり少なくとも、このmotherhoodという単語の登場は、「今回の主役は加藤さんである」という宣言の意味を持つ。群像劇を展開しつつ主軸をしっかりと固めるいつもの構造である。(実際、加藤さんメインといいつつもゆりちゃんヤバくないですか。あの笑顔に田村ゆりという女の全てが現れている。)

しかし、果たしてそれだけだろうか?

単語帳にはもっと意味があると思わせられる理由は、その単語の並び

motherhood, suicide, hopeful

である。motherhood=加藤さん の直後にsuicideという非常にnegativeな単語が出現している。さらにその後にhopefulというpositiveな単語が続く*1。象徴的な単語のあとにめまぐるしい変化が提示されている。この並びは何かを暗示しているのではないかと推測したくなる。

その推測のためにまず、今回何が起こったのか整理しよう。

加藤さんはなぜ悲しい顔をすることになったか

これは直接的には智子に胸をもんでもらえなかったからである。

なぜ胸をもんでもらえないと悲しいのか、それは加藤さん自身が語っているように「(智子の)力になれるなら嬉しい」(が、それは達成されなかった)からである。初読時私は「これは母の愛だ」と感じた。今回は motherhood=加藤さんの母性 が関わってくるだろうということが頭にあったし、智子=子 を助けることを喜びとする姿勢が母の概念に重なったからだ。母が子に与えること=授乳=胸 という対応も成立する。

しかし、よく考えると、完全に母の愛と言い切っていいのか微妙なところだ。これは加藤さん自身の欲求でもあって、無償の愛というわけでもない。そもそも勉強会に誘ったのは加藤さんの方だ。智子の成績表を見つめているときの3点リーダに注目せよ。私は加藤さんが智子をおびき出すための策を練っているように見える。つまり悪く言えば、勉強会というのは最初から加藤さんが自らの欲求のために智子を捉えるための蜘蛛の巣ではないか。

また、今回の加藤さんは智子にとって「重い女」だった。確かに、加藤さんの言動は「一緒に青学行こうね」と念押ししたり「力になれるなら嬉しい」ことを口に出したりと、「重い女」のテンプレートのようなもので、性愛に近い感情を読み取れるように思える。この2セリフのどちらも目を細めながら言っているように見えることも関係ありそうだ。だから本当は純粋な母性愛というより、友愛・性愛・母性愛*2が入り混じった重い感情を持っていると言ったほうが正しいのだろう。

加えて、今回の失敗は(恐らく)智子からの明確な拒絶を伴ったことも加藤さんにダメージを与えただろう。14巻喪140で加藤さんは智子の遠慮を嫌い、智子の「本音」を引き出すことに成功した。このときは自分の意思を言わない智子の態度に問題があったため、悪く言えばつけこむことができたわけだが、今回は智子の意思をごまかしようがない (そして、そういう状況は加藤さんが作ったのである)。結果、智子はめちゃくちゃに遠慮し、(恐らくは)自分の言葉で断った。

なぜ喪140で素晴らしいバトルを演じた加藤さんほどの人がこんなポカをやったのか。ありのままに捉えるなら、それは「智子の友人」概念について誤解しているからということになるだろう。喪140での智子の「友達にはセクハラしたり……」という発言に注目したい。つまり「セクハラしない相手は友達でない」「友達になるにはセクハラされることが必要である」ということになる。それは強引だが*3、少なくとも加藤さんの中では、「一番仲のいい友達」に対してはそういうことになっている。単一の(しかも、しどろもどろの)発言だけではなく、喪140の他の部分も見てみよう。「黒木さんは田村さんや根本さん内さんといたいのかなって」という発言から、「加藤さんの中での「智子の友人」」の中でゆり・ネモ・内は等位であることがわかる(この原因は、内については同話内で述べられているように智子としきりに話していたからで、ゆりネモに関しては恐らくネズミーでの様子から?)。しかも友人の代表くらいに思っているだろう。するとオチでの加藤さんの考えも見えてくる: 内さんに「下ネタ言ったり言わせたり、エロい目で見たり」するより過激なセクハラをしているように見える→ゆり・ネモ・内は等位であるから、3人に対して同様にそういうことをやっていて、自分にはそれを隠しているのだろう→3人と自分が並ぶには、少なくとも自分も同様の行為を受けなくてはならない。といった具合だ。もちろん、もこっちの「他の二人はともかく絵文字!?」というモノローグが認識の齟齬を物語っている。しかしそこで今回の加藤さんの「もしかして前言ってた黒木さんがセクハラしてる友達?」というセリフを思い出す。「前言ってた」というのはもちろん喪140のことである。そこでの「セクハラ」の内容に胸を揉むことは含まれなかったことに注意せよ。つまり加藤さんにとってはこれで「自分にセクハラの内容を隠していた」という仮説が立証されたことになる。この裏付けにより自らの確信を強め、大胆な行動に出たのではないだろうか。(ところで結局、この考えでも、やはり胸を揉ませることは単純な母性愛と捉えるわけにはいかない。加藤さんにとってこの行為は友情の確認なのだから。)

それにしても、今回の加藤さんの失敗はネモ(13巻喪126)と対照的だと思う。智子の気の緩みをすかさず捉え、智子が動揺するというところまでは同じなのだが、ネモはそれでネモクロ呼びまで持っていった訳だから。加藤さんも「揉まないと返事 しないよ」くらい言えば良かったんだろうか。

なぜ後半で吉田さんが登場するのか

後半についても考察する。なぜ吉田さんが登場するのか、それは第一には当然、オチをつけるためである。しかしそれだけではない。ここで登場するのは吉田さん以外ありえなかった、そう主張したい。

考察のとっかかりになったのは智子の「こういうのなんかなつかしく感じて」というセリフである。何が「なつかし」かったのだろうか。吉田さんにどつかれたこと、というのは不自然に感じる。連載分の記憶が曖昧だが少なくとも14巻喪142でどつかれており、「久しぶり」くらいには思うかもしれないが「なつかしい」というほどではないだろう。むしろ吉田さんとバイクで2ケツした体験じたいに言及していると思われる。同様の体験が過去にあっただろうか? そこでスピンオフ喪01を思い出す。中学時代にゆうちゃんと自転車で2ケツしているではないか。しかもオチでおっぱいに言及している。つまりバイクと自転車の対応と並行して、セクハラの対象という点で吉田さんとゆうちゃんが対応しているのである。

更にこの2人には共通点がある。それは偏見とそれによる引け目である。

12巻喪121で、ゆうちゃんには父親の釣った綺麗な魚の写真を送っていたことを思い出してほしい。この行動により、ゆうちゃんとゆりまこではもこっちからの心理的距離に差があることが伺える。その心理的距離が生まれる原因、それこそが偏見だと主張したい。つまり、「ビッチ」(cf. 14巻喪138)であるゆうちゃんに引け目を感じているからだ。(ちなみに喪138でもゆりに対するセクハラを「なつかしい」と言っている。よく考えれば、智子が「なつかしむ」ことができる相手は限られているのだ。)

同様のことが吉田さんにも言える。吉田さんに対する偏見はもちろん「ヤンキー」だ。「ヤンキー」は怖いもので、ぼっちの敵だからこそ、半ば自己防衛的に偏見をまくしたててしまうのだろう。喪138でのゆりとの会話を思い出してほしい。「吉田さんの進路って何? ヤクザ?」並の偏見じゃないだろう。その後に「案外教師目指しててこの大学受けるかも」と言っているが、「案外」という言葉から分かるように智子は吉田さんが大学に進学するとはなから思っていない。今回も「大学行かなきゃ遊び行けんのに…」と思いながら吉田さんたちを見つめている。本人の口から進路を聞いたわけでもないのにこの有様だ。

一方で吉田さんはそんな偏見通りの人間ではなく、智子の微妙な変化だけから悲しみを感じ取り、友達のバイクを借りてまで慰めようとするめちゃくちゃ良いやつである。智子もその優しさを感じ取ったからこそ進路を聞いたのだろうが、これは偏見を打破したということだ。これは確実に心理的距離が縮まって関係が進展したことを示しており、時間さえあればもっと親密な関係になるであろうことを読者に確信させる。

さて、智子は加藤さんにも偏見と引け目を持っていることに気が付かれただろうか。今回の「まぁこの見た目があれば……」という発言に注目してほしい。つまり加藤さんに対する偏見は「美人」である。これにより智子が引け目を感じていることは喪140を見れば明らかだろう。

つまり、今回の前半後半での登場人物はどちらも「智子が偏見を持っていてそれにより引け目を感じている人物」であり、前半の加藤さんは偏見の打破に失敗したが、後半の吉田さんは成功した、という対比がある。この対比を見ると、ゆうちゃんが出てくることが不自然な以上、吉田さんの登場は必然だったと考えられる。

蛇足: ガチ○ズさんに対してもガチ○ズという偏見があるわけだが、それに対する引け目というのがないので、腐った魚の写真を送ることができた、と理解できる。

「motherhood」とは何なのか

今までの考察をまとめると奇妙な結論になる: 加藤さんは母であり、子に偏見を持たれている。

これは意味が通らない。一般に母という存在に対し子は偏見を持って引け目を感じるか? 私はNOだと思う。これは「母・子」の概念を修正する必要性を示唆しているように思える。

結論から言えば、主観的な母を考えることが重要な点だと思われる。この場合の主体とはもちろん智子である。つまり、「智子が(実母以外を)母と呼ぶとき(=加藤さんを呼ぶとき)、どういう対象に言及しているのか」を考えたい。

思えばずっと私の中で引っかかっていたのだ。13巻喪131を思い出してほしい。膝によだれを垂らしてしまった智子は加藤さんの対応に「こんなのお母さん通り越してNo.1の対応だろ」という感想を抱く。しかしこれはよく考えればおかしい。同コマのイメージや次コマで「貢ぐ」こと、今回の偏見コマからも分かる通り、加藤さん=キャバ嬢 なのである。ところでキャバ嬢とは「お母さんを通り越した」存在なのだろうか? 私はそうは思えない。この点から、智子にとっての主観的母とは、子へ「授乳」を行うような母とは異なることが伺い知れる。智子にとっての主観的母はむしろキャバ嬢で、自分が「貢ぐ」ことで初めて「対応」してもらえる、極めてビジネスライクな関係にある人物のことである。この主観的母を「」と呼ぶことにする。つまり、智子のいう「おかあさん」は(一般的な意味とはかなりずれた)「嬢」である。ここが混乱の原因になったと考えられる。

そしてビジネスライクな「嬢」の認識も、引け目から生まれたのである。これまでにも智子は、自分が相手にされるには貢ぐ必要があると感じてきた。3巻喪21のゆうちゃんに対する行動や、12巻喪115の今江先輩に対する「私になんかやってほしいこととかあります?」を思い出してほしい。貢ぎとは、自己評価の低さゆえの哀しき習性なのである。

嬢という概念から見た加藤さんの失敗をまとめる:

智子にとって 加藤さん= 嬢 で、貢ぐことで初めて対応してもらえる存在だった。智子は加藤さんに対する偏見から引け目を感じており、ビジネスライクな関係が一定の心理的距離を保つことはむしろ安心であった。ところが今回、加藤さんは「智子の力になれると嬉しい」ことを口に出してしまう。これは智子から貢ぎ物を受け取らないという宣言である。加藤さんの意図は心理的距離を縮めることであったが、偏見を打ち破れない智子は、貢ぎ物よりも重大なものを要求される(「責任を取らされる」)と捉え、宣言を受け入れられなかった。

こうして見てみると、加藤さんの感情の重さや、勘違いというミスはあったものの、智子の責任もかなり大きいように思う。

さてmotherhoodとは結局何なのか。今までに2種類の母が登場した: 通常の「母」と、「嬢」。

「母」をきちんと定義しておく。今回、「母」とは「子の喜びを自らの喜びとするもの」のことと考える。「授乳」は子の喜び、そしてすなわち母の喜びのために母が子に与えることであり、今回加藤さんが智子に胸を揉ませようとしたことに対応する。

(この定義は、最初の方で議論した、本当は加藤さんは自分のために動いているのではないかとか、母性愛でなく友愛なのではないかという議論を回避する。加藤さんが智子の喜びを自分の喜びと感じている以上、加藤さんが自分のために行動することは何も矛盾しないし、その喜びが友情か性欲かなどといったことは無関係なのである。恣意的だろうか? この点こそが重要で回避すべきでないのだ、と思う方はご意見ください。)

加藤さんは「母」となることを望んだ。しかし智子が下した決断は、加藤さんは「嬢」であるということだった。motherhoodという単語はこの2つのmother概念を表しており、今回描かれたのは2つのmother概念のぶつかりあいではないだろうか。

結局、単語帳は何だったのか

よくわからない。

強引に解釈をつけるとしたら、suicide = 「嬢」をやめること ?で初めてhopefulな状況(もこっちと友達)になる?

しかし最後の方で述べたように加藤さんが「嬢」となってしまうのは智子の認識という面が大きいので、これは加藤さんだけの問題ではなく2人の問題なわけで、それにsuicideという1人で行う行為が対応するか?

また、智子の「嬢」認識については例示した2話のどちらもに今江先輩が関係しており、「智子は与える側になれるか」という大きなテーマとも関連している。恐らく現時点で予想できるような単純なことはやってこないだろう。

だからここまで書いておいてアレだが単語帳については結局よくわからないという結論になってしまう。

座して次回更新を待とうと思います。

それでは。

*1:twitterで、hopefulには「希望がない」という意味もあるという情報が回っていたのですが、どこ情報なんでしょうか。調べても出てこなかったんですが……。 反語的・皮肉的な意味で使われることがあるそうです。単語帳にそういう反語的意味が書いてあるのかは謎……

*2:めっちゃ語呂よくない?

*3:当初、「セクハラしない友達もいる。たとえば……」という形で繋げると思ったのだが、思ったより全員にセクハラまがいのことをやっていて笑ってしまった。